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【妊婦さん必読】赤ちゃんの吐き戻しに注意!腸回転異常症(腸捻転) 恐怖の経験談③

妊娠出産

こんにちは。ママ美です。
腸回転異常症だったおてつのはなし、パート③、最終回です。
(パート①が未読の方はこちらから、パート②はこちらから)

運命の緊急手術

色々な書類を目の前に並べられ、いよいよM先生登場。

M先生は、ママ美にも分かるような言葉でゆっくり丁寧に病気のことを説明してくれた。

腸回転異常症という病気は、実は大半は生後2〜3日で判明するものが多いらしい。
おてつが受診したのは生後15日目。かなり遅い方だ。

おそらくねじれ方がゆっくり又は捻れたり戻ったりを繰り返していて、
症状が出るのも遅かったのではというのがM先生の見解。

今顔色や泣き声の元気さを見る限りはそこまで悪いことは起きていないとみられるけど、
もしお腹を開けてみて腸の壊死範囲が広ければ、腸を切ります。
あまりにも腸が短くなってしまうと短腸症候群となり、
人工肛門をつけざるを得なくなったり、点滴生活が続いたり、
最悪の場合、命の危険もあります。

そんな感じのことを言われました。

命の危険もあるといわれ、ママ美は目の前が真っ暗になった。

その後麻酔のことや手術の方法等説明してくれたんだけど、もうほとんど覚えていません。

とにかくどうか腸が壊死していませんように。
もう頭の中はそれしかなかった。

震える手で同意書にサイン。

おてつが乗せられたストレッチャーと共に私も手術室の前まで一緒に行った。

おてつは朝から検査検査で疲れ果てたのか、眠ってる。
小さい小さい手を握りしめて、
「おてつ。大丈夫だよ。頑張ってくるんだよ。」と心の中で言った。

不安でいっぱいだった。

私でもしたことない全身麻酔、そしてあんなに小さい身体にメスを入れる。

代わってあげられるなら代わりたい。
神様、私にどんな悪いことが起きても構わないので、おてつを助けてください。

手術室のドアが閉められても、なかなかそこから動けなかった。

しばらく突っ立ってたかな。

ようやく我に返り、下へ降りて母鈴子とシータに状況報告。

やはり腸がねじれていて緊急手術に入ったこと、
手術後すぐに付き添い入院しなきゃいけないこと。
たくさん話して涙がボロボロと止まらない。
シータの前なのに。

腸が壊死してたらどうしよう、
一生美味しいものを食べられなかったらどうしよう、

母鈴子も涙目で聞いてたけど、大丈夫大丈夫とずっと背中をさすってくれた。

実はいつ何があってもいいようにと、
おてつと私の入院準備は車のトランクに積んでいた。(どんだけ入院したいねん)

だから慌てて入院準備を取りに家に帰ることもなく、
とにかく手術が無事終わることを祈って待った。

まだ3歳にもならないシータ。

さすがに朝から色んなとこに連れまわされて疲れたみたいで、ぐずりが始まった。

母鈴子はシータを寝かすためにも一旦家までドライブがてら帰るね。ひとりで大丈夫よね?と。

これがとってもありがたかった。

同じ空間にいると思うだけで私はシータが気になって仕方なかったし、
だけどシータを構ってあげられるほど心に余裕がなかった。

「シータにごめんね、ママは一緒に行けないけど、ばあばとおうちで待っててね。
おてつくんは大丈夫だから、心配しないでね。」と伝える。

シータはママしかダメ!が多い子だったけど、この時シータも自分と闘ってたんやろうな。
泣くの一生懸命堪えてママ美に手を振った。

2歳のシータが我慢してるんだ!私も強く、毅然としてなきゃ!

入院病棟前の待合でお待ちくださいと言われていたので、4階の入院病棟へ戻る。

検索したって悪いことしか出てこないに決まってる。
スマホは置いて、とにかく無事でと手を握りしめて祈った。

途中看護師さんが、少し予定より長くなりそうだと報告にいらした。
それを聞いて余計不安になるママ美。

神様・・・・

とにかく祈って、祈り続けた。

手術結果

3時間ほど経ったかな、母鈴子とシータが戻ってきた。

結局母鈴子も気が休まらず、家には帰らなかったみたい。
シータをドライブで寝かせて起きた頃に病院へ戻ってきてくれた。

すると間もなく看護師さんが何人か行ったり来たり慌ただしく動き出した。
どうやら手術が終わったみたい。

私の手は強く握ってたせいか、内出血してる。

看護婦さん「手術が終わりました。先生から説明がありますので、ママ美さんとお母様で聞かれますか?シータちゃんは病棟に入れないので、保育士が待合でお相手します。」

この病院には、シータほどの小さなお子さんも沢山入院しています。
親御さんがお家のことをしに帰る等、病棟を離れる際に、
そんな小さな子どもたちの相手をしてくれるようです。

シータをお願いして母鈴子と病棟内でM先生を待ちました。

M先生「お待たせしました。お母さん、予定よりも長引いちゃって心配でしたよね。ごめんね。おてつくんのお腹の中、写真を見てもらいながら説明したいと思います。」

何枚かグロテスクな写真が並ぶ。

M先生「単刀直入に言うと、思っていたよりおてつくんの腸は悪い状態でした。癒着がひどく、ところどころ血流が悪くなっていて色が変わっているのがわかりますか?ねじれを戻してしばらく経ったのが次の写真です。血流が再開して色が少し良くなっていますが、今後ちゃんと腸としての役割を果たしてくれるかは、正直まだ分かりません。ただ術後2〜3日様子を見てみて、おならが出なかったりうんちが出なかったり、腸の動きが活発にならないなということがあれば、再度開けて、血流が戻らなかった部分については切除しなくてはいけません。脅かすようなことを言ったけど、ここまで綺麗な色になっているのでほとんど心配はないと思います。でも念のため、そういうこともあるかもしれないということを、頭の片隅に置いておいてね。」

ママ美「もしこのあと何事もなければ、普通のご飯が食べられるようになりますか?」

M先生「何事もなければ、普通の人と変わらない生活を送ってもらえますよ。これをしたらダメ、というものはありません。運動だってできます。」

普通と変わらない生活ができる。

それを聞いて張り詰めてた気持ちがホッと緩んだ。
声をあげて泣いた。

まだ術後2〜3日は気が抜けないけど、それでも最悪の事態は免れた。

大泣きしながらM先生にお礼を言った。

先生に電話で断られていたらおてつは最悪の状態になってたかもしれない。
こんなただの素人主婦の主張を信じてくれて、受け入れてくれて、本当に有難うございました。

M先生「前の病院をフォローするわけではないけど、この病気は発見しにくいの。だからこそママ美さんが意地でもこの病院へと伝えてくれて、本当によかったです。賢い判断のおかげで、おてつくんの腸はどうにか切らずに済みました。このまましっかり回復してくれることを祈りましょう。」

その後おてつはナースステーションの目の前の病室に運ばれた。

術後のおてつ

管に繋がれた姿が痛々しい。

でも少しすると、麻酔から無事目覚めて、ギャン泣き。

良かった。

ギャン泣きできる元気があるんや。

しばらくするとパパ介から着信。
駐車場に着いたけど、ここで合ってるんかな?とのこと。(たぶんパパ介も廃墟と勘違いしたんやな)
すぐに場所を説明して上へ上がってきてもらった。

パパ介は手術が始まる頃に仕事場を抜けてきて、車で4時間ぐらいかけてようやく到着。
長い道のり、気も動転してただろうから、事故せず無事着いて良かった。

一緒に病棟へ入っておてつのそばへ。

M先生がいらしてまたパパ介にも説明してくれた。
パパ介もとにかく有難うございましたと頭を下げていた。

結局その日はナースステーション前の大部屋で様子見ということで、付き添いは夜の8時で終わり。

ずっと付いていたい気持ちだったけど、私も身体を休めなきゃ。
そして翌日からの付き添い入院に備えよう。

こうして私たちの長い長い1日は終わった。

その後のおてつとまとめ

次の日、おてつは無事うんちを出しました。

心配していた腸へのダメージも残らなかったみたい。
本当に良かった。
(実はこの後、1か月ほど原因不明の血便が続き、不安な日々がもうしばらく続くのですが、それについてはまたの機会に書こうと思います。)

その後、おてつは私たちの心配をよそにすくすくと成長し、
あんなことがあったとは思えないほどの健康優良児となっています。

腸の位置は普通と違うのですが、モリモリ食べて、ブリブリ出して、
飛んでも走っても何の問題もありません。
人間の体ってすごいですよね。

ちなみに手術の跡はこんな感じ。

おてつ(2歳)のおなか

M先生が上手に切ってくださったので、ほとんどわからないくらいです。

最後に、この経験を通して私たちは本当に多くのことを知りました。

普通に生まれてきて普通に生活できることがどれだけ幸せか。

おてつは本当に運よく、

私の極度の心配性と、
母鈴子のサポートと、
C病院やM先生との出会いと、

その他のいろんなタイミングや助けによって一命をとりとめ、健康な体を保つことができました。

でも何か一つでも違っていれば、全く違う運命になっていたと思います。

テレビで見る不運や不幸は決して他人ごとではないってことを今回の経験で知りました。

全国のお母さん、
自分の子どもの健康のことで何か気がかりなことがあれば、
自分が納得できるまで調べてあげてください。

時にはお医者さんを信用しなくたっていいと思います。

親の直感を信じることで、変えられる未来がきっとあるはず。

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